薬剤名としては日本語にするとボツリヌス毒素と言います。
今では世界中のすべての美容医療治療の中で5年以上前からすべての国で常に1位の座を占めております。
理由は医師免許があれば解剖学的に間違いのない部位に打てば必ず効果が出る注射だからです。
しかし前回の私の片側の眉間に注射した1995年では,最も進んでいる米国美容外科医ですら美容目的では使用していませんでした。
その証拠に1996年の米国美容外科学会に私が出席した際に,何人かの著名な美容外科医に「Botox」のことを聞くと、「あれは筋肉を麻痺させるのでまだ触らない方が良い」との返事でした。
既に米国の眼科医は美容の目的で使用していたのですが。
しかし米国の美容外科学会のすごいところは翌年の同学会であれだけ否定的だった「Botox」がプログラムのなかでシンポジュウムになっていたことです。
前回も触れましたがBOTOXは日本でも1990年初頭から、神経内科では既に臨床実験が行われていました。
特に京都大学の神経内科では眼瞼痙攣(眼瞼筋肉の痙攣、チック症)、斜頚(首の筋肉が固くいつも首が横に傾斜した状態)などの治療に応用してました。
又これらの治療法を健康保険で使えるところまで厚生省と連絡を取り合っていました。
私も京都大学神経内科の梶 龍兒,目高 高広先生が1996年書かれた「ジストニアとボツリヌス治療」は 唯一のボツリヌス毒素に関する参考書として勉強させていただきました
当時はアラガン社のBotoxしかありませんでした。今では米国製、欧州製、韓国製がありますが、
ところが当時日本ではボツリヌス毒素に関して医療的ではなく大変な問題が起こっていました
オーム事件です。
全世界ボツリヌス菌散布計画
1990年3月、オーム真理教教祖麻原彰晃は幹部20名ほどを集め、「現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」と宣言しました。
当時私のクリニックは東京恵比寿にあり恵比寿駅から私のクリニックの前の道を通り高樹町の方に向かう先にオームの総本部がありました。
この道のことを「オーム通り」と呼ばれる程、メディアの車が常に道の両脇に待機していました。
このような時にボツリヌス毒素を用いたしわ取り注射などは口が裂けても言えません。
ただ、ただ「しわ伸ばし注射」ということで行いました。
たくさんの良好な結果が出たので1996年度の日本美容外科学会総会に「Botulinum ToxinAを用いた除皺術の経験」というタイトルで1年間のデータをもとに報告することになり、学会からも採用通知が来てました。
学会のプログラムにも掲載されていたのですが、学会1か月前に京都大学の梶先生と連絡を取り、まじかに近くなった「眼瞼痙攣」の医療保険申請が厚生省を通過するとのお話を聞き、1か月後の学会で初めて美容外科の先生に美容目的でのボツリヌス毒素を用いた施術が公になり、簡単で、効果がすぐに出るこの注射を、経験のない美容整形の先生方に乱用されて問題が起こると、せっかく長い時間かけて準備してきた「眼瞼痙攣」の許可が取れなくなるかもしれない、との判断で急きょ会長に事情を話し演題は取り下げていただきました。
このように美容医療の為のBOTOXの誕生までには日本ならではの裏話がありました。
サフォクリニック副院長/美容外科美容皮膚科医
白壁 聖亜
当クリニックの診療は自由診療(保険適応外)となります。