1982 米国美容外科学会にて日本における二重術の歴史を話す
Annals of Plastic Surgeryで1985年に論文として報告しました。
1985 Annals of Plastic Surgery
遂に 5年目にして「世界で最初の二重手術法は美甘法」と認められました。
あの味が忘れられず、今でも時間があると国立国会図書館に通い、掘り出しものを探すのが趣味になりました。
私の岡山大学から頂いた医学博士の称号は未だに何の役にも立っていませんが、この論文を見つけたことは世界の美容外科の中で大きな功績をあげたと自負しております。
今回河本先生の文献は、美甘先生の文献の中にあった言葉「河本式内反症手術がヒントになりました」と言う文書からの「孫引き」でしたが、実は河本先生の文献からも一文見つけ出しました。
これこそタイトルの「二重手術の起源は米国シカゴにあった」に到達しました。
1882 年にアメリカの眼科専門雑誌に出ているシカゴ在住のDr.F.C.Hotz(ホッツ)の「上眼瞼内反症手術」を参考に河本式手術法を考案したとの文書でした。
早速「孫引き」をと行きたいところですが、1800年代の米国医学文献を日本の図書館で見つけることは難しく、そこでベテランの日本の眼科の先生にお願いして文献を取り寄せてもらいたく、東京水車橋眼科クリニックの矢部比呂夫 先生にお願いし、苦労して1か月後に送っていただきました。
Hotzの「さかさまつげ」の文献
これでページも文献に挿入することができます。ところがこの論文には彼の顔写真も術式説明イラストもありませんでした。
そこで昨年10月丁度米国マイアミで国際美容外科学会があったので、途中ラレイにあるデューク大学の病院に行ったついでに、図書館で彼の写真を見つけました。
Dr.F.C.Hotz
イラストに関しては日本で「孫引き」を行い1905年(明治37年)小川剣太郎先生の眼科手術書から「ホッツ式眼瞼内反症手術」を見つけ出しました。
1905年小川眼瞼手術書
小川剣太郎教授
又1938年林 熊男先生が眼科臨床医報という雑誌に「ホッツ式重瞼術」という文献も同時に見つけました。彼は美甘法をベースにホッツの原理を応用して美容目的の二重手術を論じています。
実際 西洋人に二重手術は必要ありませんが「さかさまつげ」はありますので眼科医であるシカゴのHotz先生が、世界で最初にこの「逆さ睫毛改善目的で考案した手術」を報告し、これを参考に河本先生はモディファイして日本人に応用したわけです。
さらにこれを美容の目的として美甘先生が美甘式重瞼術として世界で最初に報告したわけですが、原理として二重の手術の起源は
米国シカゴにありました。
いかがでしたか今から137年前の二重手術のお話でした。
アジアではダントツに古い歴史を持っている日本の美容外科の一端をお話いたしました
この話は昨年10月 東京で行われた日本眼科疾患シンポジュームで報告しました
サフォクリニック副院長/美容外科美容皮膚科医
白壁 聖亜
当クリニックの診療は自由診療(保険適応外)となります。