もともと芸術家志望だった父は、美に対する追及心が旺盛で、この形成外科の無い時代に、手術においても傷跡をいかにきれいにするかと言うことに心をくだいていました。
当時盲腸の手術が得意でした。
帝国大学であった九州大学病院の第一外科に勤務していたのですが、テレビも週刊誌、インターネットも無い時代に、新幹線も飛行機も無い時代に、日本国中から、九州の大学まで盲腸手術を受けに来た患者さんが沢山いました。
それも若い女性です。
実は日本国中のストリッパー(お腹を出すダンサー)が口コミだけで来院したそうです。
彼女らにとってお腹に傷が残るのは商売道具に傷がつくようなものでした。
ところが当時の国立(帝国)大学病院では大きく開けて確実に盲腸を取り出すのが一般的なルールでしたので、必然的に大きな傷が残るのが当たり前でした。
父はいつも上司である教授から「もっとしっかり大きく開けて手術をするように」注意されてたそうです。
形成外科の無い時代でしたので傷跡は無視して目的は炎症した盲腸を確実に摘出して痛みを取るのが盲腸の手術でした。
しかし日本国中の患者が国立の九州大学病院に白壁先生指名で来るので大学側は「盲腸の様な小さがな手術でベットがふさがれるのは困る」との理由で、父は大阪の私立である大野病院に飛ばされてしまったそうです。
しかしこれが父を形成外科、美容外科に進む転機となりました。
ダンサーでなくても若い女性がお腹に大きな傷跡を残されればがっかりしますよね。
実は私も父に医大生のころ急性虫垂炎で緊急手術を受けたのですが、大人の親指ほどの炎症した盲腸を摘出してもらいました
しかし今でも傷跡がほとんど解らないほど小さな傷です。
昔 私も外科医ですので盲腸の手術をすることはありましたが、切開部を小さくしたつもりでも人差し指が入るぐらいの広さに切開しました。
父はほんとに小さな切開から長いピンセットでくるりと巻き上げて盲腸を取り出すので10-15mmほどの傷から取り出しました。
今も私のお腹に残る細い小さな傷は父の形見の様です。
サフォクリニック副院長/美容外科美容皮膚科医
白壁 聖亜
当クリニックの診療は自由診療(保険適応外)となります。