紫式部と関係が深いのが本堂内部の東側にある「源氏の間」です。。
紫式部はこの部屋に7日間参篭して源氏物語を書きました。
現在もこの部屋を拝観することができます。
紫式部の人形が小さな窓際に座り、源氏物語を書いた様子がうかがえます。
実際は昼間の明るい間はこの窓際にいたのでしょう。
しかし大半の生活はもう少し奥の暗いところが主だったと思います。
当時の建物は採光までは考えておらず、奥の方では蝋燭のあかりでも、けして顔がはっきり見える様な状況ではなかったはずです。
せめて暗くても少しは顔を見せるために、長い黒い髪をバックに、白粉で顔の位置、太い眉墨で目の位置赤い口紅でちいさな口元を強調したものと思います。
紫式部日記では化粧のことを「顔作り」と書いてました。
源氏物語の「浮舟」や絶世の美女といわれた小野小町の絵を見ると、真っ白な顔に長い黒髪、きれいな十二単
当時の美人の条件に合っています。
これは絵画だから顔がはっきりわかるのです。
源氏物語 「浮舟」
又このころの女性はいつも大きな扇子で何故か顔特に口元を隠していました。
答えは 当時の建物は石山寺の「源氏の間」のように入口近くの窓だけで奥には採光までは考えていませんでした。
灯りとしては小蝋燭の光だけです。
正直どこに座っているかも見えないのですから。
長いつやのある黒髪をバックに顔だけでも白いことは大切で、決して良質でない白粉で顔を浮かせる必要がありました。
それもかなりの厚化粧、笑ったり、時間がたつとボロボロ落ちる化粧ですので、できるだけ無表情で口を動かさないように扇で隠していました。
現在でも共通するところがありますね。
この暗い場所での白粉の「顔作り」の習慣は江戸時代では吉原の化粧、現在でも舞妓さんの化粧、現在でも歌舞伎役者の顔を強調するための「顔作り化粧」(特に昔の舞台での蝋燭の暗い灯りの中で顔を強調したい場合)の伝統が,照明が良くなった現在でも残っているものと思われます。
10月19日新潟で日本臨床形成美容医会があり夜の懇親会に新潟の芸者さん、舞子さんが踊りを披露してくれました
とてもきれいでしたが、全員お顔が首まで真っ白でした。
サフォクリニック副院長/美容外科美容皮膚科医
白壁 聖亜
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